reporepoのブログ1

2018/10/17


研修に参加して


16fs231    板谷 友貴



  私は研修には参加していないが、事前調査や事後調査から異文化に対する理解が調査前よりも深まった。

  私の班が扱っている内容は、韓国の人々が昔から抱いてきた、大別すると負の感情である「恨」についてと、かなりデリケートな内容であるため言い回しにはかなり気を使った。想像することは出来ても、所詮私は日本人である。韓国の人々が抱く「恨」の感情はどうしても理解しえないものだ。

  正直、私たちが普段日常生活で感じることのない恨という感情について調査するのは苦労した。どの文献を読むにしても感情移入しづらいからである。

  そんな中でも、未だ完成には至っていないが、おおよそ形になってきたのは班のメンバーの功績に他ならない。私が何を調べれば良いか迷っている時には的確に指示を飛ばし、難題に頭を抱えている時には解決策を導いてくれた。彼らの助力なくしてはここまでのものは作れなかっただろう。

  調査のための合宿では、本当にしんどい思いをした。1日目などはおよそ睡眠と呼べるものは1時間も取っていなかったように思う。重くなっていく瞼をこすりながら班の仲間達と1つのプレゼン資料を作るという経験は今までの私の人生には無いものだった。今になって思うと、やはり睡眠は大切であり、いくら焦っていたとしても最低限の睡眠を取るほうが効率的だったのではないかと感じる。これは今後に活かす反省点として胸に刻んでおこうと思う。

  合宿には多くのOB.OGの方々も参加して下さった。彼らには本当に助けていただいた。文の構成や、調べ方のアドバイスなど、他にも多くのものを教えていただいた。社会に出て仕事をされている方々と直接会って話を聞くという経験はなかなかできるものでは無いので、非常に勉強になった。

  私にとって、この事前調査や合宿は、普段何気なく過ごしているだけでは得がたいものを沢山与えてくれた。特に私の中の異文化に対する理解を深めてくれたというのは、今後の人生観にも良い影響を及ぼすのではないかと思う。

近代社会におけるスポーツ文化の機能

2018/08/07


現代社会においてスポーツ文化はどのような機能を果たしているか、視点を明記して論じなさい。


16fs231  板谷友貴


  私は、スポーツ文化が近代の社会において果たしている役割を政治の面から論じようと思う。

  スポーツは古来遊びとしての側面が大きかった。だが、近代に近づくにつれ経済的にも利用され始めている。

  2020年に東京にて開催される東京五輪パラリンピックなどを例にとって考えてみると、その経済的効果はとても高い。2017年3月7日に掲載された日本経済新聞によると東京に誘致されるのが決定した2013年からオリンピック終了10年後の2030年までに予想されている経済効果は、全国で32兆円との試算が出ている。32兆円というのは、日本の年間国家予算である103兆円のおよそ3分の1ほどにもなる。それだけでなく、全国のインフラ整備などによる雇用増加数は約194万に登るとされ、日本の経済に多大なるメリットを及ぼすことが、以上のことからも推察される。

  上記の内容は直接的な経済効果であるが、私が特にオリンピックがもたらす経済効果で大きな意味を持つと思うのは、外国人観光客が増加するということである。2003年1月に、小泉純一郎内閣総理大臣が施政方針演説で、2010年に訪日外国人旅行者1,000万人を目指す。と発言し、2013年の4月よりビジット・ジャパン・キャンペーンが開始されたのだ。ビジット・ジャパン・キャンペーンとは、2010年までに訪日外国人旅行者を1,000万人に増やすという政策であり、外国人観光客向けの各種割引等のキャンペーンや観光ビザの緩和などを行ったものである。実際に外国人観光客が1000万人を突破したのは2013年のことであるが、その経済効果は約80兆円、日本の年間国家予算にも迫ろうという金額である。日本には外国人が好むような施設が多くあり、元々外国人観光客からの利益は大きかったのだが、近年それがさらに顕著になってきていると私は感じる。恐らくそれは2020年に開催される東京オリンピックパラリンピックなどの影響が大きいのではないかと考えられる。

  だが、それと同時に東京オリンピックパラリンピック開催について問題点も多く発生してしまうのが現状である。私は先程インフラ整備などのために雇用者数の増加があったと言ったが、これは良いところだけではない。インフラ整備などの建設業においては、経験がモノを言う業種でありオリンピックのインフラ整備のために急遽集めた人材であってはあまり即戦力にならず、一過性の雇用に過ぎない。即戦力にならないのであれば、賃金が安い外国人を雇用するという流れになってしまうのも致し方ないことである。そして、その結果、日本人の雇用者数が減りさまざまな問題が起きてしまう。  

  例を挙げると、外国人犯罪者の増加、劣悪な労働環境で強制的に働かされる外国人の問題、日本人との賃金格差の問題などが挙げられる。これは日本企業が外国人は日本人が敬遠しがちな作業でも抵抗なく働ける人材という風に、外国人労働者を見ているという側面がある為ではないかと私は考える。

  他にも、スポーツが担う社会的な機能としては、基本的な礼儀を学べること、上下関係を知れること、友情を得ること、プレイヤーや監督に対して尊敬の念を抱けること、健全な精神の育成…などなどスポーツが近代の社会で担ってるいる役割は大きく、ほかの文化で代替することは今や不可能と言ってもいいのではないだろうか。先程あげた社会的機能は日本で生きていく上で非常に大切なことばかりである。

  だが、スポーツ文化は他に変え難い貴重な性質を持っているが、先程述べたようにスポーツが招く問題点は数多くある。改善するためには何が必要だろうか。

  改善策として、私はスポーツ省が掲げている理念をスポーツに携わる全ての人に認知させ、教育者がこの教えを説き、新しくスポーツ社会を担う子どもたちにスポーツ省の考えを定着させることが大切だと感じる。

  スポーツ省がめざす社会の姿としては1.青少年が健全に育ち、他者との協同や公正さと規律を重んじる社会

2.健康で活力に満ちた長寿社会

3.地域の人々の主体的な協働により、深い絆で結ばれた一体感や活力がある地域社会

4.国民が自国に誇りを持ち、経済的に発展し、活力ある社会

5.平和と友好に貢献し、国際的に信頼され、尊敬される国

の5点である。

  もちろん、大人たちにもスポーツ省の持つ理念を普及させるべきではあるが、スポーツ省は2015年に発足された新しい組織であるため、大人たちには既存の今まで持ってきた考え方があるので急な思想の変化は望めない可能性が高い。だが、従順で先入観のない子どもの方が、新しい考えは受け入れられやすいのではないだろうか。

  また、外国人の犯罪増加に対する案としては、外務省は以下のような回答を示している。「研修・技能実習制度に関し、研修生等の失踪が犯罪の増加に直結しているのであれば、彼等への十分なケアを促すことで、同時に犯罪防止策になるのではないか。 」

外国人犯罪を取り締まることは重要であるが、何故外国人が犯罪に走るのかについても踏み込んで究明していかなければならない。それが在日外国人の教育問題や労働問題等の対策にも関連することになる。」

などである。私はこれに賛同する部分もあるが、これだけでは対策としては不十分であると感じる。私が考える対策としては、劣悪になりがちな外国人労働環境を変えることや、雇用者の認識を新たにし、低賃金で雇える労働者という考え方から日本人が持たない技術をもった優秀な技術士という考えを持つことが大切だと考える。

  まとめとしては、一見関係のないように感じるスポーツと政治、スポーツと外国人観光客問題、外国人犯罪の問題は深いところでは密接に絡みついていたのではないだろうか。それを政治の面から捉え、深く考察することで今後の日本の外国人観光客の増加やそれに伴う犯罪の現象を望めるのではないだろうか。


参考文献 


https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/shingikai/koryu/foreign_4_g.html


http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/kihonhou/kaigi/attach/1319930.htm


https://外国人労働者新聞.com/archives/4509


http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H26/h26/html/b2_1_2_2.html


https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/tfukuoka60.pdf


https://r.nikkei.com/article/DGXLZO13742810X00C17A3EA1000?s=0


http://richizm.com/olympic/

すぬーぴーとかんこく


・唐辛子の年間使用量が日本の10倍


・ニンニク、濃い味付けが好き


・食事の量は余るほどたくさん振る舞うのが礼儀

→食べる方も「満腹でこれ以上食べられない」ことを表すために少し残すのが礼儀


・辛いものが多い

→大陸からの寒い風がはいってくるため

→日本は古来野菜やコメなどが中心だったが韓国は昔から肉を食べていた肉の濃い味に負けないようにする工夫。


・入る店すべてでキムチが出てくる

→韓国に旅行に行った友達談


・韓国ではトマトは果物扱い


・韓国のコーヒーはほぼすべて甘い

→辛い料理をよく食べるので中和のため


・刺身をコチュジャンにつけて食べる


・おかずのお代わりは無料

→かんこくにおいておかずは、主食の米を食べるための補助としての役割のため


・いただきます、ごちそうさまなどは言わない


・居酒屋などで、お通しの文化がない


・飲食店において、喫煙可能の店はない


・店に入ると店員の誘導を待たずに席につくのが普通


・駅弁という文化がない

→国土が狭いため


・食器を持ち上げるのはマナー違反


・食事の際はスプーンと箸を両方使う


・麺類を食べる際にすする音を出すのはマナー違反


・出前をとる回数が日本よりも多い

→韓国によく行く知り合い談


・女性の座り方について、胡座をかくのも片膝をつくのもOK


・お酒の注ぐタイミングについて、コップ(グラス)が空になってから注ぐ

→残っているのに注ぐのはマナー違反


・基本的にスープにご飯を入れて食べることを好む


・土壌

→日本は火山灰の酸性土壌が多く、韓国は海底の隆起により、アルカリ性土壌



http://kenkoubaizou.com/k2k0000395-post/

科学技術にこめ

②自分にとって関心のある事柄を一つ取り上げ、授業で触れた見方を利用しながら分析


  私が関心のあるのは科学者の研究資金の問題である。

  研究をするには、研究施設の調達やアシスタントを雇う費用、研究に使用する機械にかかる費用等の多くの費用がかかるのは当たり前である。多くの費用がかかるのが当たり前であるのにも関わらず、研究者は資金繰りの問題に今また頭を悩ませ続けている。では、なぜこのようなことが起こってしまったのだろうか。私は研究者の増加と研究にかかる費用が年々膨れ上がっていていることが問題だと考えている。

  まず、研究者増加の問題だが研究者が増加したために国立衛生研究所による研究費助成金の申請をした科学者の、うち30%が支援を受けられていたのだが、今では18%の科学者しか助成金を受けれていないという現状である。それだけではなく、仮に受けられたとしても助成金は3年間で失効してしまうという。研究とは10年20年という長期間のスパンで行うものが多く、3年間という短期の援助であれば、研究者はたちまちのうちに資金繰りが苦しくなり、研究資金獲得のために奔走し、本来の目的である自分の研究が進まないという負のスパイラルに陥ってしまう。

  授業で、研究資金はその研究に対する熱意の表れという旨の話を先生がされたことがあった。私はなるほど、と思う反面、必ずしもそういう訳では無いのではないかと考えていた。

  というのも、先述したように現在研究者は増加傾向にあり、研究資金の助成は受けづらくなっている。そんな現状がある中では、研究資金の獲得というものは研究者の仕事のなかで大きな割合を占めているのではないだろうか。そんな中で研究資金はその研究に対する気持ちだけでカバー出来るものではないと私は考えている。

  今後の対策としてだが、①でも触れたように、科学技術は私たちの生活に深く関与しているのであるから、もっと国をあげて科学技術を推進していくべきだと考える少なくとも助成する研究者の割合を、18%から低くとも60%ほどに引き上げる必要があると私は考える。このような措置を取ることによって、研究者は潤沢な研究資金のもと、新たな技術を開発し、私たちの暮らしは、今よりもっと良くなっていくのではないかと考える。

科学技術①

2018/07/25


科学技術論 期末レポート 

16FS231 板谷友貴



①授業を通して自分が考えたこと


  私が授業を通して感じたことは、科学というものの面白さである。特に私が好きなのは「ある者によって、ある言明が述べられ、他者がそれを信じる時に、あるいは信じない時に、何が生じるのか」(授業内第三回パワーポイントより抜粋)という言葉である。この言葉から私は科学の面白さを感じた。信じる場合はその言明が真実だとして受け入れられるが、信じない場合はそれが偽であるとして信じない者はそのブラックボックスを暴こうとする、そのような関係が科学の中に成り立っているというのに興味を引かれた。

  他にも第一回の講義での、多くの人にとってはよく分からず、興味のない対象であるのにも関わらず、一般の人々に与える影響は大きいという話でそういった一面を持っているということや、それは科学技術だけには限られず、政治や大企業、マスメディアや国際機関の世界などでも、私たちは私たちに与えられる影響が大きいのにも関わらず、あまり知らない上に興味も持ってこなかったなと感じた。私たちの生活に多大な影響を及ぼす科学技術であるのだから、私たちはもっともっと興味を持ち、知っていくべきなのではないだろうか。

おなかへったすぬーぴーはほっぶす

2018/07/03


理論とモデル② 092 意味無い行為なんてないホッブス問題の解決策~



16fs231 板谷友貴



  あなたは「行動」と「行為」の意味の違いを知っているだろうか。恐らく多くの人は意味を知らないままこのふたつの言葉を使っているのではないだろうか。

  社会学においては、行動と行為という言葉は大きな違いを持つ。ドイツの社会学者であるマックス・ヴェーバー(1864-1920)による区別では、「行動」とは、人間が見かけの上で何かをしている場合のその全てが「行動」となる。遊ぶ、書く、戦う、勉強する…などである。行動には生理的な反応も含まれる。反射や、あくびなども行動に含まれる。「行為」については、明確な意図の元に行われるものを行為とヴェーバーは定義している。

  ヴェーバーは行為の中でも他者との繋がりをもって行われる行為を「社会的行為」と呼び、この社会的行為の中には目的合理的行為、価値合理的行為、感情的行為、伝統的行為の4種類があり、ヴェーバーは社会的行為を4つの種類に分類している。

  1つ目の目的合理的行為についてだが、これは目的を達成するために行う行為のことである。例えば、志望大学に合格するために勉強をするといったように、志望大学に合格するという目的を達成するために勉強という行為を行うといった具合である。

  2つ目の価値合理的行為については、行為を行うこと自体を目的としている場合の行為のことであり、例を挙げると、暇つぶしなどがそれに当たる。目的そのものが暇をつぶすことであり、価値合理的行為とは目的と行為が同じ意味を持っていると言える。

  3つ目の感情的行為とは、怒る、悲しむなど、感情によって行為を起こしたものが当てはまる。

  4つ目の伝統的行為に関してだが、これは朝起きたら顔を洗う、歯を磨くなどの、目的があるにはあるのだが、それを意識せずに、日々のルーチンワークになっている行為のことが伝統的行為と呼ばれる。

  私はこれらの分類を利用することが、社会学を理解するのに大きな役割を買っていると感じる。

 また、社会的行為についてはアメリカの社会学者でハーバード大学教授であるタルコット・パーソンズ(1902-1979)も述べており、彼は社会的行為をホッブス問題の解決に利用できると考えた。そもそもホッブス問題とは、人々が自然権を行使すれば、人は争い合う…という内容である。「万人の万人に対する闘争」というのはホッブスが人々が自己の利益を追求すれば闘争が起きるというのを言い表した表現である。パーソンズは人の行為についての理論を理解すれば、ホッブス問題解決の糸口が見いだせるとしている。具体的には、行為には主意主義という性質が含まれているとパーソンズは考えており、(主意主義というのは行為には自分の選択が含まれているという意味である)主意主義の中に規範的オリエンテーションと呼ばれる、人々の基本的な選択が主意主義の中に含まれており、人々が規範的な選択をし、行為することで、ホッブスが唱えている「万人の万人に対する闘争」という状態を回避出来るのではないかと言うものである。

  私もパーソンズの考えるこの理論に賛成であるし、今後推し進めて行くべき考え方であると感じる。現代風の言い方で言い換えると、規範的オリエンテーションとはモラルである。現代の人々にはモラルが不足していると感じる場面が多々ある。パーソンズの規範的オリエンテーションの考え方を広く普及させ、人々にモラルを植え付けるのは、人々の幸福のためにも大切なことであるのではないだろうか。

6/27 ゼミ課題 abc

2018/06/26


人生はドラマだ


16fs231 板谷友貴


  私は087『人生はドラマだ』を選択した。

このテーマの中には「ドラマトゥルギカル・アプローチ(演劇論的アプローチ)」というキーワードが登場する。これは、026『商品としての真心』にも登場する、「表層演技」、「深層演技」にも関わる部分があると感じる。

私は026の『商品としての真心』の内容に興味があったので、ドラマトゥルギカル・アプローチについて考察しながら、表層演技、深層演技に関しても掘り下げていければと考え、このテーマを選択した。

  背景で言えば、我々の日々の生活が他者中心であり、自己の感情や思考を表に出しづらい節があるというのが挙げられる。

これは正にドラマトゥルギカル・アプローチを行ったために引き起こされる副作用とでも言うべきものである。

  ドラマトゥルギカル・アプローチとは本来、我々が人間関係を円滑にするために使うクッションのようなものである。本来の己の性格は決して丸くなく、棘に覆われていたとしても、ドラマトゥルギカル・アプローチというクッションを間に挟むことで素のままでは付き合えないような相手とも私たちは付き合っている。

  そもそも我々はなぜドラマトゥルギカル・アプローチをするのだろうか、それは、我々には大学に行けば学生、アルバイト先に行けば従業員という、「学生」や「従業員」と聞くだけで大まかにどう言ったことをしているのかという予想がつく。

実際に学生や従業員の役割を行っている側からすれば、その予想は期待と同義である。我々はその期待に応えようと必死に今自分がいる立場相応の行動を取ろうとするものであると私は考えている。

  私は、過剰にドラマトゥルギカル・アプローチを行うことは反対である。

その理由は大きく2つある。

  1つ目には印象操作をして繋がった人間関係は、例外もあるが素の自分を出した途端破綻してしまうのではないかという懸念があることが挙げられる。

いつ関係が崩れてしまうかと怯えなくてはいけないし、ありのままの自分を人前で出せないのは大きなストレスを抱えることにもなる。

  2つ目には、印象操作をし続けると、「見せたい自分」が「素の自分」を上回ってしまい、素の自分の性格が徐々に小さくなってゆき、いづれは本当の自分に対して自身を持てなくなってしまうのではないだろうか。

事実、私も色々な人の前での自分を操作し続けてきたので、自分の素の姿はどんな感じだったのだろうかと思うことがある。

  これらが、私の考えるドラマトゥルギカル・アプローチのデメリットである。

  反対にメリットも少なからずある。

それは、いつでも素の自分を出せるというわけでもない。そのためケースにあった自分を用意できるというのは表面上の付き合いをする場合では効果的であると言える。

  他にもドラマトゥルギカル・アプローチをする方が自身にとって楽であるということも言える。

先に性格が棘に覆われている…という例を挙げたが、誰も彼もが棘に覆われていれば、素の自分のままでは顔を合わせる度に喧嘩になってしまう。

毎度毎度ギクシャクするのは精神的に疲弊するものであるため、ドラマトゥルギカル・アプローチをするメリットとは先述した2つのメリットが大きいと考える。

  よって私はドラマトゥルギカル・アプローチというのはその場の秩序を守っているものでもあるため、あまりにも印象管理をしすぎるのも行けないと思うが、時に印象管理をしないのがマナー違反となる場合もある。

そのため、相手によって印象操作の程度を変更し、あまり多用しないというのが私の結論として言える。