6/27 ゼミ課題 abc

2018/06/26


人生はドラマだ


16fs231 板谷友貴


  私は087『人生はドラマだ』を選択した。

このテーマの中には「ドラマトゥルギカル・アプローチ(演劇論的アプローチ)」というキーワードが登場する。これは、026『商品としての真心』にも登場する、「表層演技」、「深層演技」にも関わる部分があると感じる。

私は026の『商品としての真心』の内容に興味があったので、ドラマトゥルギカル・アプローチについて考察しながら、表層演技、深層演技に関しても掘り下げていければと考え、このテーマを選択した。

  背景で言えば、我々の日々の生活が他者中心であり、自己の感情や思考を表に出しづらい節があるというのが挙げられる。

これは正にドラマトゥルギカル・アプローチを行ったために引き起こされる副作用とでも言うべきものである。

  ドラマトゥルギカル・アプローチとは本来、我々が人間関係を円滑にするために使うクッションのようなものである。本来の己の性格は決して丸くなく、棘に覆われていたとしても、ドラマトゥルギカル・アプローチというクッションを間に挟むことで素のままでは付き合えないような相手とも私たちは付き合っている。

  そもそも我々はなぜドラマトゥルギカル・アプローチをするのだろうか、それは、我々には大学に行けば学生、アルバイト先に行けば従業員という、「学生」や「従業員」と聞くだけで大まかにどう言ったことをしているのかという予想がつく。

実際に学生や従業員の役割を行っている側からすれば、その予想は期待と同義である。我々はその期待に応えようと必死に今自分がいる立場相応の行動を取ろうとするものであると私は考えている。

  私は、過剰にドラマトゥルギカル・アプローチを行うことは反対である。

その理由は大きく2つある。

  1つ目には印象操作をして繋がった人間関係は、例外もあるが素の自分を出した途端破綻してしまうのではないかという懸念があることが挙げられる。

いつ関係が崩れてしまうかと怯えなくてはいけないし、ありのままの自分を人前で出せないのは大きなストレスを抱えることにもなる。

  2つ目には、印象操作をし続けると、「見せたい自分」が「素の自分」を上回ってしまい、素の自分の性格が徐々に小さくなってゆき、いづれは本当の自分に対して自身を持てなくなってしまうのではないだろうか。

事実、私も色々な人の前での自分を操作し続けてきたので、自分の素の姿はどんな感じだったのだろうかと思うことがある。

  これらが、私の考えるドラマトゥルギカル・アプローチのデメリットである。

  反対にメリットも少なからずある。

それは、いつでも素の自分を出せるというわけでもない。そのためケースにあった自分を用意できるというのは表面上の付き合いをする場合では効果的であると言える。

  他にもドラマトゥルギカル・アプローチをする方が自身にとって楽であるということも言える。

先に性格が棘に覆われている…という例を挙げたが、誰も彼もが棘に覆われていれば、素の自分のままでは顔を合わせる度に喧嘩になってしまう。

毎度毎度ギクシャクするのは精神的に疲弊するものであるため、ドラマトゥルギカル・アプローチをするメリットとは先述した2つのメリットが大きいと考える。

  よって私はドラマトゥルギカル・アプローチというのはその場の秩序を守っているものでもあるため、あまりにも印象管理をしすぎるのも行けないと思うが、時に印象管理をしないのがマナー違反となる場合もある。

そのため、相手によって印象操作の程度を変更し、あまり多用しないというのが私の結論として言える。